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徳川慶喜の孫娘の今は亡き 井出久美子さんの自伝
姉が高松宮妃殿下喜久子さまという 慶喜終焉の地
小日向第六天町の3400坪の広いお屋敷で育つも
慶喜の七男の慶久は将来を嘱望されていたにも関わ
らず34歳逝去お母さまも42歳と若くして亡くなる。
大将軍のお嬢様であった久美子さんはその後結婚する
もご主人が戦死、そのご主人の親友と縁あって25歳
で再婚、波乱盤上であるけれど 常に前向きに生きた
92年間、昔の思い出を余すことなく書かれていて
見事な生涯。有栖川宮家から継承した素晴らしい書ともに
運命に任せたままに生きて悲しみもまた背負った人生。
戦争がなければ 慶喜が大政奉還しなければ
どんな時代になっていたのか?なるべくしてなった
時代のうねりの中で 今がある。
徳川家と松平家の脈々と連なる縁も また、喜ばしい。
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蓮如上人は応仁22年(1415年)2月25日に京都東山大谷
の本願寺で生まれた。父は本願寺七世存如。母は祖父巧如の内室
に仕えていた女性と言われているが詳しいことは今も不明。
丸い愛嬌のある蓮如は幼名を「布袋丸」と呼ばれ大事に育てられいた。
彼が6歳になった時に母は行方知れずになりその後正妻を迎えてやがて
応玄が生まれた。17歳の時に青蓮寺で得度を受けてこの時に名を兼寿、
法名を蓮如と称した。その後彼は北嶺(比叡山延暦寺)や南都(奈良)
に赴き仏教学・宗学の研究に打ち込む。南都留学を終えて京都に戻り妻
を迎え父の仕事の補佐をするようになる。
その後、父がなくなり本願寺八世の相続に至る。彼43歳であった。
宗祖親鸞の教義を誰にもわかるように平易な表現にかみくだき話術に
のせて人々に親鸞の教えを浸透させることに成功した。
本願寺再興の確かな土台を築きあげたのはいうまでもなく本願寺八代の
法王としてその後もおもいきった改革を断行することになる。
しかし、そのような本願寺の発展に比叡山延暦寺は不都合極まりまりなく
ついに寛正6年1465年に大谷本願寺を急襲、これを取り壊してしまい
蓮如は本尊と宗祖親鸞の後影像だけを携えて命からがら避難、門徒に助け
てもらいながら近江を転々と移り住むことになる。
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私はこの方のドラマをほとんど見て育った世代
「ただいま11人」とか「ありがとう」など
ただ、最後の橋田寿賀子さんの「鬼シリーズ」は好きじゃない。
台詞が長すぎ もっと完結に言い回しできないのか?
ピン子が出るものもあまり好きじゃない。
なのでほとんど見ていない。
「ありがとう」のチータの言い回しも ちょっと雑で 乱暴で
嫌いだった。もっと自然体で演じてほしかった。
でも、歌手が本業なのだから無理だったのか?
石井ふくこさんが悪いわけではない 演じる側がもっと丁寧に
演技するべきだ。
当時の石坂さんはとってもガリガリに痩せていてちっとも
素敵じゃない。と言ったら本人に怒られそうか。
誰が好きって 奈良岡さん、ふくこさんと同じマンションに
住んでいらっしゃると聞いて まるでやすらぎの里のように
心寄せ合っているのだろう 私も老後は気に入った友人たちと
住みたいものだ。
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中野北溟さんと金子鷗亭さんのインタビュー形式で
詩文書について語っている
金子鷗亭さんとは弟子と言いつつも何も手ほどきを受けていない。
自分の世界を作り上げた中野北溟さんももうすぐ100歳に届く。
焼尻島の出身で 人生折々で師と仰ぐ人々に出会っては
幼い頃から憧れた教師となり書の世界に身を置くことになる
鷗亭は数千年の書の歴史を学ぶことでどの時代にも
書は常にコンテンポラリー(同時代のものであり)
ヴァイリエーション(変化)と理解した。
それゆえに自分が生きる時代の書が必要と感じたそうだ。
決して書は過去の遺物ではなく 世界に通用する芸術と
捉えて創っていこうとした。
松前に生まれそののち故郷をあとに上京した鷗亭さんに
何度も上京するように懇願されるも 北の果ての最北端で
海鳴りと潮騒の中で育った北溟さんは「海」を題材とする。
人知を超えた偉大なる自然を前に人間の無力感、諦念が
静かに横たわる 謙虚な言葉にその墨跡が紙面に満ち満ちて
見るものに感動を与える
中原中也の「北の海・・海にゐるのは浪ばかり」のように
詩の一部を抜粋した言葉に心惹かれる
某ホテルに掲げられた 書もまた心を打つ
100歳になっても まだ、墨の世界の深いところを目指して
光にうたれ花がうまれた 光は鷗亭で花は北溟
それぞれに北海道生まれの二人がしかるべき出会いがあり
現代書の世界を広く展開してきた この功績は未来の書の
世界にまた 光をもたらし美しい花を咲かせることだろうと。
北溟さん 100歳もうすぐですね。おめでとうございます。
108歳の桃紅さんのように 長生きしてくださいね。
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時代は明治に遡り 鍋島家から伊都子が梨本宮守正に嫁ぎ 長女方子が
あろうことか 伊都子の思惑で李王朝の王世子李垠との縁談を思い立ったこと
からはじまった。王子の父親高宗が崩御、兄である純宗が即位する中で弟の
王世子李垠は日本に住んでいたこともあり 朝鮮に野心のある日本によって
また、政治の混乱の中にあった朝鮮はたやすく屈服したというがそう思ったの
は日本だけで朝鮮では明治43年の併呑の最中でそのような複雑さが日本の
当時の貴族には伝わっていなかったようだ。
伊都子もまた、娘の縁談になみなみならぬ思いで娘方子を説得して王世子李垠
に嫁がせる。折しも当時は東宮妃が姪の良子に決まったと聞いては少なからず
同様しつつ 娘の幸せを祈る
当時はそのほかにも王世子李垠の異母妹の徳恵姫なども伊都子によって縁談
が決まって 日本と韓国の橋渡しに貢献したと思われたが やはり韓国の
王室と民族の違いはなかなか難しかったのではないだろうか
また、戦後の皇室の臣籍降下による11宮家の平民になることなど晴天の霹靂
であったに違いない 「日本ももうだめだ」と伊都子が思ったのも頷ける
しかし 世の中は確実に民主主義を移行して平和を取り戻した
鍋島栄子から伊都子へ 方子もまた時代に翻弄された人生であったのか
15歳で縁談が舞い込んで 相手も良く判らずに婚姻するのが常であった時代
母親が縁談に大いに力を発揮していたのである
また、当時は自由恋愛は信じがたく 家と家の格式を重んじたのは不思議なこと
ではなかったのだった 不幸か幸いかは運命でほかならない
そういう運命を引き寄せたのも自分自信にあるからだ
2005年に刊行されたこの本
長岡輝子さんの四姉妹とあるがたまたまこの方たちが当時存命
でそれぞれの生い立ちなどご家族のことが記されていて一気に
読んでしまった。
すでに鬼籍に入られた長岡輝子さん・・朗読が素晴らしく感銘
受けていたらなんと素晴らしい経歴と苦難に満ちた時代をご主人亡きあと
生きてこられたその軌跡に ため息の出る思い
昭和5年にすでにフランス、ドイツ、スイスにいらした姉妹の華麗なる
半生に戦争という怒涛の逃避行など 涙なくしては読めない
どんなに苦しかろうが 生きて帰るという強さに 驚きを持って読み
すすめては 涙なくしては 進めない
軍国色色濃い中 時には夫を思い 子供達を思い 繋いできた
異国にあってもどんなときにもくじけず 助け合いはぐくんできた
その生きざまに 驚きとともに それぞれの強さに運が味方してくれた
と思わないではいられない
長女の妙子さんは101歳、輝子95歳 春子88歳 洋子83歳
(平成16年現在)
そして、その後輝子さんは御存じのように女優で102歳で天命を全うする
8人兄弟で 4人が高齢になっても みな健康で生きてこれたことは奇跡
と思われる
ほとんど作っていない私には 無用の長物になってしまうか〜
お嫁さんがケーキ型をほしいというので持って行ってもらった。
新しくないのに・・私が断捨離したいと言うからでしょうか??
5年前に買ったオーブンはまだ出番がない。
その分、ダッチオーブンで作ることが出来るのでそのうち
やってみようかな〜
4月になって虎さんと天気が良いので散歩はじめた。
毎日太陽に当たって・・午後からは昼寝をしてしまう。
本当にのんびりと毎日が過ぎているけれど
たまに、空を仰げばヘリが飛んでいてロシアを意識してしまう私。
ロシアが北海道に侵攻したら??無防備な私達は地に伏せるだけ。
地下に隠れても、避難しても爆撃されると思えばどこに逃げれば
いいのか?どんなに軍備をしてもウクライナを見たらおのずと
理解できる。嘘に塗り固めたロシアに対抗するには限界がある。
眺めることもない。
今はネットで見て作ることもできるけれどそれさえもない。
余裕がないという・・情けない話・・
この4か月も雪かきと格闘したり、本を読んだり、TVをたまに
見るという・・気が付けばうたたね・・
3月になって15日にちょっと重い雪が降った程度ではあるけれど
最近は雪砕きに余念がない。なにせ気温10度は雪の融けること・・
その日のうちにほとんど消える・・それで私もこれまで5回ほど
掻いたので雪が減った・・といってもまだ、てんこもり〜
さて、やっとこの4月間できなかったことを片づける。
文書関係、不要な本やものを探しては行ったりきたり・・
その中でまるでタイムマシンで過去に遡るように昔の懐かしい
家計簿や日記や〇〇通信が出てきた・・
〇〇通信は我が家の日常を書いたもので両親や親せきに書いたもの。
その時々のトピックスが書いてあるわけで忘れかけたことが蘇る。
当時はゆとり教育で時間数を減らされた弊害があとに問題になった。
国家の財産は未来の子供でまさにその国家の繁栄が大きくゆらいだ。
政治家には何も期待できないと嘆いた。
思えばいろんなことが根幹からそぎ落とされてきたのかもしれない。
戦後の復興から80年、JRと郵政の民営化など人口減少に加えて年金
もどんどん減り続けて100年前に逆戻りになってしまうそうで悲しい。
鉄路は先人たちの苦労の末に作られたものが次々に壊されていく。
新幹線なんて道民が利用するとは思えない。
車とバスで移動を余儀なくされる。バスより汽車の移動がどんなに楽か
今年は本をリクエストされた。
ほかに何を買ったかは秘密である・・
どうやら王子はハマったものがあるようで・・
実は・・私も最近は毎日ピアノにはまった・・・
ただいま3曲目に突入・・
途中虎さんがいたずらに弾いていく・・
さて・・私の目下の悩みは布が減らないこと。
キルトが押し入れに山積みになっていること・・
友人がほしいと言うけれど何をあげていいのか??
こういう時世なので遊びに来てもっていってとは
言い難い・・何かいい方法はないものか・・
だからね・・何か作りたい願望が消えるのよ〜
これ以上増やしてどうするの??って。
平取ではクリスマスの展示をするらしい・・
いつもmiwakoさん、お便りいただきありがとうございます〜
今年も行けないで申し訳ないです。
出かけることが億劫で遠出がままならず・・・
今のうちという声も聞こえてくるけれどね。
ばたばたと・・・この年末に・・
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